【真言宗大本山 隨心院】
【随心院】は、平安初期の女流歌人、小野小町ゆかりの門跡寺院です。小野小町は世界三大美女といわれるほどの美人だったようです。真言宗善通寺派の大本山であり、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基にして、一条天皇の正暦二年(西暦991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立されたそうです。
アクセス
京都市営地下鉄「小野駅」で降りて徒歩5分程度です。〒607-8257 京都市山科区 小野御霊町 35
拝観料
中に入るには拝観料を払います。
500円です。
中には小野小町の絵、
綺麗な襖絵などがあります。
御朱印は入口の所でお願いします。
最後の部屋で…
私はこの場から動けなくなりました。
過去…へ想いをめぐらせました。
想いを伝えたいあの人に、無料で手紙が書けます。
私は愛する人に想いを書いて、仏像のポストに入れました。書いた後に、勘違いに気付きました
告白
想いをよせてくれたあの人は
今頃どうしているのだろう?
元気でいるのだろうか⁉️
私を想ってくれた人なのね⁉️(^_^;)
小野小町伝説
小野小町は、13才の頃に都へのぼり、都の風習や教養を身につけました。 宮中に仕えるようになった小町は、その容姿の美しさと優れた才能から多くの女官中、比類なしと称され、その歌は六歌仙、三十六歌仙に残っています。
しかし、故郷を忘れることなく36才のころ故郷に帰りました。
それを追ってきたのが、小町を慕う深草少将です。会いたい旨の恋文を小町へと送りましたが、
「わたしを心から慕ってくださるなら、高土手に毎日一株づつ芍薬を植えて百株にしていただけませんか。約束通り百株になりましたら、あなたの御心にそいましょう」
少将は芍薬を堀り取らせ、植え続けました。実は小町は、この頃疱瘡を患っていたので、すぐには会えなかったのです。
百日間毎日通い続けたら受け入れると言われ、毎日欠かさず小町の元へ足を運び続けましたが、九十九日目の夜に大雪のため願い叶わず凍死してしまったとか、雨で橋ごと流されて亡くなった、いう伝説があります。
小町は深い悲しみに暮れ、少将の亡骸を葬り、供養の地蔵菩薩を作り、99首の歌を捧げました。
愛する人を失った悲しみはその後の小町の歌に影響したのかもしれません。切なく激しい恋の歌は、恋を知る女性だから詠めるのだと思います。
恋する気持ち
昔も今も恋する気持ちは同じです。
愛する人と一緒にいたい💕
愛する人に愛されたい💓
でもでも、
一緒にいても相手の気持ちがわからない😢
悩みは尽きないもの😢
いくら考えたって
人の心はわからない…
でも、いいじゃないですか⁉️
もがいてあがいて悩んで…
それが生きてる証…
こんなにも好きな人がいるのは
幸せなこと…
今は出逢いもなく、それが悩みの人が多いです‼️
出逢うためにはどうしたら良いですか⁉️って相談も来ます。
それは私にはわかりません(笑)
神のみぞ知る⁉️
ただ言えるのは、他人じゃなく
自分を見てください。
また、楽しい神社ツアーもしております。
その方にあったお守りを選び、
龍神様のメッセージをお伝えしたりするセッションも好評です。
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